大学改革 2014 6 28

 日本の大学教育は、硬直化しています。
この原因は、教授制度にもあると思います。
 日本の大学では、教授になれば、
実質的に終身雇用制度のようなもので、
定年まで教授でいることができます。
 だから、大学の授業は、時代遅れ、
あるいは古色蒼然としたものになります。
 私が大学時代の話をすると、
たとえば、マルクス経済学の授業に時間をかけていました。
 しかし、当時でも、
マルクス経済学は、「時代遅れ」と言われていたのです。
 もっと近代経済学に時間をかけるべきで、
マルクス経済学は参考程度に学ぶ程度でよいと思われていたのです。
 しかしながら、大学は、左派や左翼の牙城のようなところでしたから、
「近代経済学は、ブルジョアジーだから、けしからん」という風潮でした。
 その後、ベルリンの壁の崩壊、さらにソ連の崩壊で、
マルクス経済学が、どうなったか見当がつくでしょう。
 一方、近代経済学も、一部では迷走の道を歩むことになったと思います。
人間は「合理的経済人」と仮定して、そこに数学を持ち込むことで、
経済学が「数学化」していく道を歩んだのです。
これは、数学者が経済学の分野に流入したことも、その原因のひとつだと思います。
 しかしながら、このような流れは、
経済学が、現実社会から離れていく原因になったと思います。
 はたして、人間は、「合理的経済人」か。
そうではないと思います。
人間は、感情的で、心理的です。
 私は、こうした傾向に不満を持って、
2003年には、このサイトで、
経済学に心理学を持ち込むべきであると書いたのです。
これが、今でいうところの「行動経済学」です。
 欧米では、「行動経済学」が大きな流れになっていたのに、
日本では、相変わらず、数学化された経済学が主流では変だと思ったのです。
 さて、自然科学の分野も書きたいところですが、
長くなりましたので、別の機会にします。

カーテン 2011 5 3
 たまには、話題を変えて、発想の転換をしましょう。
私たちが住んでいる「次元」は、3次元プラス1次元で4次元です。
縦・横・高さの3次元と、時間の1次元です。
時間は、直線の1次元の存在です。
 ただ、このように書いてもわかりにくいと思いますので、
たとえ話をすれば、私たちが住んでいる次元空間は、
カーテンのようなものです。
 つまり、カーテンレールが、時間という次元で、
そのカーテンレールにぶら下がっているカーテンが空間という次元です。
 宇宙は遠くない。
隣の街のコンビニエンスストアに行くような感覚で地球に来ることができるかもしれません。







































































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